ねこ 柴 家族 symeiの・瀾・日記

今迄の出来事や色々思いついたことを書きます。毛もの話多め。

軽度知的障害 自閉症スペクトラム

主夫が出来上がるまではサラッと書いたので、次は一人娘の紹介しないと……。

 

と、言っても、主夫の方で書いてるように娘が2歳から交代勤務で働いていて、子供とふれ合う時間が全く無かったから記憶が………。

本業は平日は毎日残業。土曜日昼夜勤出勤、日曜日夜勤出勤。と、休日出勤のオンパレードで経済的には良かったですが家にはほぼ寝に帰るだけ。みたいな生活を送っていましたから、運動会とかの行事位しか参加してないのです。普段の生活は皆無と言っていいほど知らない、ダメ父の典型な母になってました。

中学を卒業して、高校に入ったまでは、勉強は出来ない。スグに切れて暴れる。位で少し問題行動が有る。けれど大人になれば落ち着くのでは?は、学校の先生も父親も祖父母も周知の事実でした。

私はと言うと、勉強が出来ない。事しか知りませんでした。私の前では切れたり暴れたりした事は一度もなかったので、全く問題行動について深く考えていませんでした。

 

しかし、高校に入学してから少しづつ変化?と言うのか氷山の一角だった今までの問題行動が一気に出てきたのした。

入学して、GWが終わって初夏になりつつある頃、大好きなAAAのライブ費用を貯めたいからバイトを始めたい。と言うので、まぁ、学校を疎かにしないのならいいよ。と、許可して、このまま普通に時が流れて行くと思っていました。

中学生の時にライブに行きたい、ライブグッズが欲しい。と良く言っていました。家計を握っている父親はオール1に近い成績が少しでも良くなったら。とか、テストの点が良くなったら。とか条件?約束をしてヤル気を起こそうとしたり、塾に通いたい。と言う希望を、家計をやり繰りして叶えたりしておりましたが、全く娘はやる気を出す気配なく、塾も他の生徒の妨害をしたりだったらしく、約束を反故にばかりしていたので、結局ライブに行く事はなく過ごしておりました。

自分の稼ぎで行く事を駄目という理由も無いので、一番最初にいくのは母と行こうね。とだけ約束してその日を楽しみにしてましてた。

 

ところが、初夏になり薄着になってきたのでふと腕を見るとガーゼ?包帯?をしてたので、どうしたの?と、普通に聞いたのが始まりだと記憶してます。

実は…。と、ボソボソ話出した内容は、リストカットしている。たまにオーバードーズもしている。と。

最初、意味がわからず、なにそれ?と、呑気に聞いたりしてましたが、娘は親に話してもう、隠さなくてもいい!と、勘違いしたのか、行動がどんどんエスカレートして行き、学校でも問題行動をするようになり、夏休み前に先生からの勧めで精神科を受診する事になり。診断は、乖離障害。愛着障害。でした。カウンセリングと投薬で様子を見る事になり、初めて聞く病名と言うか障害名に戸惑い、主治医に両親はどうしたらいいのか?を診察の度と言っていい程聞いたが、普段通りでいいです。しか言われずもうパニックでした。

高校も続けるのは難しいのではないか?と三者で話し合い退学しました。バイトは続けていたので、病気が良くなれば定時制でも通信でも通い直せば良いと思っていました。

そんな時、会社の福利厚生でAAAのライブチケットが抽選ながら販売していたのでダメ元で申込み、見事当選し、中学から行きたがっていたライブに行けば何か変わるかも?と、グッズを揃えライブに参戦し、とても楽しかった、また行きたいね!バイトも頑張る!!と喜んでいたし、ライブまでの間は問題行動も無く落ち着いた生活が出来たので何か楽しみな行事を作って目標が有ればこのまま良くなっていくかな?と父親とも話して、中卒になったとしても、働いて好きなことご有ればそれでもいいかな?と、ほっとしていました。

ところが、ところがです、そんな考えは翌日には打ち消され、葛藤の日々が訪れたのです。

 

つづく。